手塚治虫さんの思い出
私は小学生の頃、毎日マンガばかり描いていて将来は絶対に漫画家になろうと思っていました。
私をそんな気持ちにさせたのは、あの漫画の神様、手塚治虫さんです。
小学5年生の時、「火の鳥」という作品に出会い、手塚マンガの虜になってしまったのです。
「火の鳥」は手塚治虫さんの代表作のひとつで、人間が永遠の生命を求める話しです。火の鳥の生き血を飲んだ者は永遠の生命を手に入れることができます。
ただ、永遠の生命を手に入れた者は幸せになれるかというと実はそうではない。
それどころか、死にたくても死ねない状況がどんなに辛いことかが漫画の中の登場人物を通じて描かれているのです。
人間の、永遠の生命を得たいという欲望、そしてそれがもたらす悲劇を、漫画を使ってこれほどまで深く描き、色々な事を考えさせてくれる手塚治虫さんの漫画に私は完全に魅了されてしまいました。
そこで、ある時思い立ちました。
「手塚治虫さんに会いに行こう!」
雑誌に載っていたファンレターの宛先にとりあえず行って見ました。
場所は東京都練馬区富士見台。
私は西武池袋線沿線に住んでいたので電車で一本です。
富士見台の駅に着き、駅員さんに聞いてみました。
「虫プロだよね、あの道をまっすぐ行って3つ目の角を左に曲がって」と、道案内には手慣れた様子です。
きっと多くの少年ファンが手塚治虫さんの仕事場を訪れたのでしょう。
駅員さんに言われた通り行きました。
住宅街を抜けると、そこには周囲の住宅とはまるで様子の異なる、宇宙ステーションのような白い建物が見えました。
敷地にはアトムやリボンの騎士と言った手塚治虫さんの人気キャラクターの等身大のフィギュアが置かれています。
喜び勇んで建物に近づくと、何か様子が変です。
門にはロープがはりめぐらされ、建物には何やら殴り書きされた紙が貼られています。
その紙には「手塚治虫は給料を支払え!」などと書かれています。
実はその当時、手塚治虫さんはアニメにたくさんのお金を使い過ぎて、自身が社長を務める虫プロが倒産してしまったのです。
小さな張り紙を見つけました。
「虫プロは下記のところに移転しました」と書いてあります。
手塚治虫さんの仕事場は駅前のお肉屋さんの2階にありました。
階段を上っていくとドアには「手塚治虫プロダクション」と書いてあります。
恐る恐るインターホンを押して「手塚治虫先生に会いたいのですが」と伝えました。
しばらくすると中からアシスタントの方が出てきて「どうぞお入りください」といわれました。
仕事場には8個くらいの机が向かい合わせに配置されています。
そして、1番奥の席に、手塚治虫さんが座っていました!
ベレー帽を被った、あの姿で!
手塚治虫さんは私に向かってにこやかに「今日は!見学に来たの?」と声をかけてくれるではありませんか!
私は緊張のあまり、うまく言葉がでなかっのですが「手塚先生の大ファンでいつも先生の作品を読んでます」とやっとのことでいいました。
「ゆっくり見学していって下さい」と、先生はおっしゃいました。
仕事場で先生はアシスタントの人達とブラックジャックの次のストーリーを考えています。
ブラックジャックは無免許の天才外科医を主人公にする異色の漫画で、当初は読み切りのはずだったのですが、予想以上の反響があり急遽連載ものになった、手塚治虫さんの記念すべき復活作です。
ご存知の方も多いと思いますが手塚治虫さんは大阪大の医学部を出てインターンをしている時に漫画家に転身した経歴があり、その経験がブラックジャックの中で生かされています。
「今度の話は体に色素がない病気の人の話にしようと思ってるんだけど」
手塚治虫さんがアシスタントにストーリーを聞かせて面白いかどうかをその場で言ってもらうのです。
今考えると、あのブラックジャックの創作の現場を見せてもらえた自分はなんてラッキーだったのだろう、と思えます。思い出すだけでクラクラします。
お土産にブラックジャックの生色紙とサイン入りのご著書「マンガ専科」を頂きました!
私はすぐお礼の手紙を書いて送りました。
数日後、手塚治虫さんから返事が来ました!
以下、少々長いですが文面を紹介します。
御手紙ありがとう。
此の前来たときは少々いそがしかったのでお話も出来ないでつまらなかったと思っております。
私は大抵のものは好きですけど歯があまりよくないので固いものは困ります。オセンベやかきもちは大体すきですけど此れも固いから残念ながら敬遠しております。一番いいのは果物で例えばバナナ(やわらかい)ブドウ(青いの)みかん(むくのが面倒くさい)上等のリンゴ 其他は東京駅の不二屋のプリン、ミートパイ(之はない日が多い)等です。
漫画は本当に六ケしい。少々位かけてもそれは絵であって漫画ではない場合が多いからそのことを心において画いて下さい。松谷マネージャーに連絡して又遊びにおいでなさい。
虫
自分がファンレターになんて書いたのか覚えていませんが「今度行くときには先生の好きな食べ物を持って行くので、好きな食べ物を教えてください」「ボクも漫画家を目指しているのですが漫画を上手に描くにはどうしたら良いのでしょうか」と言うようなことを書いたのでしょう。
ひょっこり訪ねて行った少年ファンの1人に過ぎない、小学5年生の私に、こんなにもキチンと、しかもユーモアたっぷりのお返事を書いてくださった手塚治虫さん。
あれから40年以上の歳月が経ちました。
私は漫画家にはなりませんでしたが、あの幸せな思い出は私の胸の中でずっと生き続けているのです。