巨大な代ゼミが凋落した理由 その3
なぜ代ゼミが凋落したのか、代ゼミのマイナス面ばかり書いてしまいましたが、代ゼミにももちろんいい面はありました。
まず、代ゼミでは、一人ひとりの講師名がそれぞれの講座の前面に出てくるということです。
当時、講師名を前面に出すことを徹底していたのは大手予備校では代ゼミだけだったと思います。
例えば、代ゼミ以外の予備校では「東大英語」が設けられていても誰が教えるかはわからなかったのです。
それに対し、代ゼミは同じ「東大英語」でも「富田一彦の東大英語」とか「西きょうじの東大英語」など、担当講師が明示されているので、生徒は講師名で講座を選択することができるのです。
これは、生徒、講師、両方にとってメリットがあります。
まず、生徒は、自分が好きな講師の講座をとることができます。
同じ「東大英語」であっても、講師が違えば教え方も違うのだから、生徒としては「自分に一番あっている」と思う講師の講座をとることができます。
他方、講師の側では、自分の名前が講座の前面に出されるので、担当する講座に対するやる気、責任感が全然違ってきます。
講師は、自分の授業が多くの生徒に受け入れられるものであればあるほど多くの生徒を集めることができ、代ゼミの中では「人気講師」としての地位を確立することができます。
そして、人気講師の中でも500人教室を満席にして締め切りを出すような「スター講師」になると、先述のように年収2000万円以上(トップレベルになると4000-5000万)を稼ぎ、普通のサラリーマンでは到底望めないようなレベルの生活ができるのですから、これは、講師にとっては大きなインセンティブになります。
私が代ゼミで講師になるよりずっと以前から、受験業界では「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」という有名なフレーズがありました。
そのフレーズが意味するところは「駿台には優秀な生徒が通っている、代ゼミは教え方のうまい講師がそろっている、河合は設備が立派」ということです。
これはまさに代ゼミが講座の前面に講師名を出し、生徒に自分が一番受けたい講師の授業を受けられるようにしていた必然的な結果であるといえると思います。
私が代ゼミの講師になりたいと思ったのも、講師名で生徒の支持を集められる代ゼミのシステムにやりがいを感じたからです。
私は成増塾を立ち上げる時にも、生徒が講師単位で講座を選べることを基本にしようと思いました。
では、代ゼミと同じく講師名を前面に出すやり方を採用している成増塾に生徒受けするようなパフォーマンス講師がいないのはなぜか?
それは成増塾が難関大学を目指す生徒だけを対象にしている塾だからです。
成増塾に通う生徒のほとんどは難関大学に合格することを真剣に目指す高い意識を持っているので「その講師についていけば学力が伸びるか、合格できるかどうか」を一番重視します。
成増塾に通う生徒は、子供だましのようなパフォーマンス授業では決して難関大学に合格できないことを知っているので、そのような講師が成増塾の生徒に支持される余地はないのです。